- 名前 田中雅彦
- 性別 男
- 年齢25歳
- 職業 建設業
- 住んでいる場所 鹿児島県鹿児島市
- 借金額 550万円
- どこからお金を借りたか 銀行カードローン
- 借り入れ理由 娯楽、交友費
未来からの借金の末
今思えば、いつから自分自身の感覚がくるっていたのかわかりません。
むしろ最初からくるっていたのかもしれないと思います。
初めてカードローンで借金をしたのは、自分の給料だけでは遊ぶお金がたりなくなっていた20歳そこそこのときでした。
友人が持っていたこともあり、何の抵抗もなくカードローンを契約し、何か入り用になったら自分の貯金のような感覚で、借金をして遊んだり、買い物をしたりしていました。
でも、今思えばそのころは限度額も30万円くらいで、後々に比べるとかわいいものでした。
自分の借金癖に完全に火をつけたのはギャンブルでした。
とにかく熱くなる性格で、一度お金を入れると、我を忘れて冷静さのかけらもないような行動を取っていたと思います。
手を出したギャンブルは、パチンコ、競艇、競馬、オートレースなど、お金を賭ける遊びはすべて手を出しました。
もちろんこんな生活でしたので、すぐに生活に限界がきました。
給料を貰った翌日にはお金がないこともよくありました。
でも、「お金はおろせばあるから大丈夫!」など思っていました。
ほんとに末期状態だったのだと思います。
そんな感じの日々は長続きするわけなく、徐々に自分の債務に首が回らなくなっていました。
その時で借金は100万円くらいになっていたと思います。
総量規制があったので、これ以上は借り入れできないはずでした。
ですが…ここで銀行系カードローンのお出ましです。
これはすごい便利な商品です。
しかし、貸す相手を間違えてしまえば、そのかりた人間の地獄の入り口になります。
銀行系カードローンに乗り換えをして、また消費者金融生活が始まりました。
乗り換えた時は、2度と借りないと決めていたのにもかかわらず、ギャンブルの甘い蜜に誘われました。
「今日大勝ちをして、一気に返せるかもしれない」と、ギャンブル中毒者の症状である、勝って借金を返そうという思考が自然と頭にありました。
乗り換えてから、新たに消費者金融でカードローンをつくってから、限度額まで借金のかさむスピードはあっと言う間でした。
気づけば、自分の手に余す借金が出来上がっていました。
この時は「もう、ギャンブルをやめて真面目に働いて返そう」って考えてました。
しかし、またも総量規制にかからないカードローンに乗り換えに成功しました。
さらに地獄の底に近づいたのです。
すぐに限度額です。
心の中では初めからわかっていました。
「この最後のカードも限度額の限り俺の未来から借りる借金になるだろう」と。
でも今までと何も変わらず、借金は増え続け、限度額いっぱいになりました。
ここからは友人や同僚からも借金を繰り返し、自転車操業の繰り返しでした。
毎日寝ても、覚めても、何をしていても借金のことが頭から離れることはありませんでした。
正直、自殺を考えるような日もありました。
自分の周りにはいい友人が多かったですので、借金が返せない自分を責めずに、あらたな道を探してくれました。
もう自分の給料だけじゃ、友人の借金も併せると手に負えなかったので、司法書士のところに行き、過払い金返還請求ができないか訪ねて行きました。
カードローン歴は長かったので、かなり返還されるのじゃないかと淡い期待を抱いていました。
ほんとに子どもでした。
自分がカードローンを利用しているときにはすでに高金利の商品は無くなっており、自分の契約内容じゃ過払い金返還請求はできませんと言われました。
この時の衝撃は正直やばかったです。
目の前が真っ暗とはこのことだと思いました。
そんな経緯もありましたので、「任意整理」に踏み切りました。
将来利息のカット、利息制限法の引き直し計算を行ってもらい、5年間での分割返済になり、どうにか生活できるようになりました。
今思っても、ほんとに怖いです。
借金に首が回らない時に、高報酬の犯罪まがいな仕事が来ていたら、多分私は断ってなかったと思います。
借金は未来の自分を必ず苦しめます。
カードローンの所有者は必ず計画的な利用を心掛けてください。
管理人からのコメント
ギャンブルにはまってしまうと、なかなか抜け出すのが難しいです。
借金をしないと心に誓っても、いつの間にか借りているという人は多いです。
こういう場合は、強制的に借金ができない状態を作るのが手っ取り早いです。
そうすれば、自然と借金をしてギャンブルができなくなりますからね。
借金に困っている場合は、なるべく早めに弁護士に相談をしましょう。
きっと解決策が見つかりますよ。